かんなび 学びいろいろ、環境人間学部のみちしるべ。

2024.05.18

【座談会】建築と福祉の二つの視点から考える、少年院出院者の居場所づくり~後編~

環境人間学部は「すべての人に豊かな暮らしと環境を」を理念に、文系から理系にまたがる5つの専門分野から構成されています。本学部が特に重視するのが、複数の視点・分野から問題にアプローチする「複眼的思考」。このため、学部内では分野を横断した交流や共同研究が行われています。今回は環境デザイン系の学生による卒業設計を囲みながら、社会デザイン系の教員や院生を交えて、ある社会問題について語り合いました。

前編はこちら

 

このまちでの暮らしを想像し、イメージすること

水上 優
Nさんが接する出所者の人たちが、こういうところに住むイメージはありますか?

 

院生N
若い出所者たちの中には「ここ、めっちゃ綺麗」「オシャレじゃん」というノリで住む子もいると思います。感覚的には、普通の若者なので。ただ、周りから見れば申し分のない環境をつくっても、いなくなってしまう人もいます。本当に居心地がいいか、暮らしやすいかというのは、本人が体験しながらすり合わせていくしかない。特に僕が関わる若者たちは、自分の誕生日を祝ってもらったことがないなど、普通の家庭で味わえるはずの体験をしてきていない、そういう生育環境で育った人が多いです。そういう若者たちが「普通の暮らしってなんだろう」「誰かと一緒に暮らすってどんな感じなのか」というところからのすり合わせが必要になります。この難しいテーマに取り組むFさんも、葛藤があったと思いますが…。

 

学生F
やはり「リアリティ」の面で悩みました。説明してもなかなかイメージしてもらえないというのがいちばん難しかったです。その中でもどかしかったのが、出所者の居住場所を固めてしまうことで、かえって目立ってしまうこと。居住場所を分散させるべきか、保護司さんや協力雇用主と一緒に暮らす形がいいのか、地域住民と溶け込んで暮らすのがいいのか。「実現できそうな提案なのか」という面で、いろんなせめぎ合いがありました。

 

院生N
僕はそれでもいいと思います。現実を知らないからこそ、現場にいる僕たちが思い付かないような思い切った提案ができる。そういうトライができるのが面白いですよね。この提案があったから、今日、この対話の場があるわけですしね。
まちの設計を進める中で、架空の人物を想像したり、こういう出会いや展開があったらおもしろいなといったエピソードを考えたりしたことはありますか?

 

学生F
出院した人たちが、このまちの住民といきなり親しく会話するなんてできないので、小川沿いの並木道に木を植えに行ったり、木の成長を見に行ったり、ちょっとずつ行動範囲が増えていく中で、最初は住民と挨拶したり、ちょっとずつ会話が生まれていく。道の駅で働く時も、一緒に働いている人たちとちょっとずつコミュニケーションが増えていく。急かさず、強制されず、自分の居場所を見つけていく、広げていく。最終的にそういうまちになるという漠然としたストーリーは考えていました。

 

「失敗を何度もできる」という体験が、何かを変えていく

院生N
私から一つエピソードを紹介したいと思います。僕がサポートしていた人で、出所してすぐ、近所で喧嘩をしたりして、引っ越しを繰り返す人がいました。ところが少し田舎の、平屋建てに引っ越したら行動が落ち着いたんです。アパートで大声を出したら近隣から「うるさい」って言われるけど、今の住まいは裏に線路が走っていて、大声を出しても誰も気にならない。その人を変えるんじゃなくて、環境を変えるだけでできることがある。建築にはそういう力があるんですよね

 

井関 崇博
今の話は面白いですね。社会学的なアプローチと、建築学的なアプローチが重なったような気がしました。

 

院生N
先日も、ある出所者を刑務所まで迎えに行きました。その人の第一声が「ちょっと観光して帰りたいけど、いいですか?」だったんです。確かに、一年以上刑務所の中にいたのだから観光でもしたいですよね。
僕らが思っていることと、彼らが思っていることは全然違うんですよね。「出所したから、すぐ反省して生きよう」ではなくて、食べるものを楽しみにしていたりする。そういった意味でもこのまちは、失敗を何度もできる環境なんだろうなと。いっぱい失敗するけど、出ていかなくていい。ケンカしたりぶつかったりしてもまだいられる、という体験が何かを変えていく。そういったエピソードが見えてくるようだなと思いました。

 

学生F
私は建築で何ができるかということをずっと考えてきたのですが、Nさんのおっしゃった「失敗しても大丈夫なまち」というワードは印象的で、私が考えた建築の案が失敗しても大丈夫なまちになっているとすれば素直にうれしいです。
それから、一人ひとり違うということとか、少年院や刑務所の中でずっと過ごしてきたからこそ考え方が違うことなど、社会学的な見方がとても大事で、建築を考える際にも、こういった視点をすり合わせていく必要があるということがよくわかりました。
水上 優
Nさんのお話をきいて、今回は社会学を専門とされている方々と議論していますが、文学とつながってみるのもいいのではないかと思いました。例えば、こういうことを扱った具体的な文学作品を取り上げて、その登場人物が生きるまちをデザインしてみるのも、卒業設計としてとても面白いのでははないかと思いました。
というのは、このような問題の場合、私たちが彼らの間違いをなおすという発想があるように思います。当事者ではない人が、当事者たちがハッピーになれる施設を考える。問題のある人を集めてここに押し込めば、自動的にまともな人間が出てくる、というような考え方です。でも、これはおかしいのではないかとFさんと議論してきました。
そうではなくて、大切なのは単に「付き合う」ということだけ。私たちが互いに付き合う、付き合っていけるような環境をつくる。そういう環境の中で、当事者一人ひとりの思いが違う中で、特殊解を一つずつデザインして、どんどん特殊解を積み重ねていくことで、見えてくるものがあるはずです。文学作品の登場人物を扱うことで、こういう考え方ができるのではないかと思いました。

 

建築というハードも、交流を促すソフトも大切

井関 崇博
「更生の場」というより、ここに居続けてもいいし、ここを経て一般社会に戻っていい。さらに言えば、少年院や刑務所を出た人じゃなくても、この場所の特性を知って、「ここは居心地がいいな」と思った人が住める街になっていく、ということですか?。

 

竹端 寛
「更生の場」にしたら失敗するでしょうね。「多様な人が暮らす街」というコンセプトで、地域住民が羨ましがるような住処じゃないと実現できないだろうと思います。これが「元受刑者のためのまち」「障がい者のためのまち」という対象者を限定するラベルがついた瞬間に「こんなところ住みたくない」ということになるはずです。
それから、これを実現しようと思ったら、レベルの高い建物をつくって、なるべく安い家賃で住めるようにして、普通の人でも住みたいなと思えるような場所にしないといけないと思います。
それから、都市計画分野の概念である「エリアマネジメント」も大事になってきます。ハードでできることももちろんあるのですが、エリアに関わる人々の対話や交流を促進するようなソフトが必要で、そういったハードとソフトをつなぐようなエリアマネージャーみたいな役割が、建築とセットで組み入れられてはじめてまちとして機能すると思います。その人が、例えばコレクティブハウジングのように、住居者を選ぶ段階から介入することも必要かもしれない。

 

水上 優
おっしゃる通り、出院者を世話する人がいて、仕事を見つけたり住処を貸してくれたりという社会の現実もあるので、ソフトとハードの「間に入る存在」は不可欠ですよね。

 

院生N
出所者だけでなく、ここに関わるすべての人が「トレーニングできる場」「いろんなチャレンジができる場」でもあると思います。ハード面で仕掛けすることも大事だし、加えてコーディネーターのようなソフトの仕組みが関わることで、出院者との対話が促進するのは、すごくいいスタイルだと思います。
先ほどのスウェーデンの例では障がい者が住むということをあえて言わないということでしたが、Fさんの提案の良いところは「あえて伝える」というところですね。出所者を支えたいと思っている人は結構いるんですね。ただ、出会う機会がない。僕の働く社会福祉協議会では、地域で災害が起こった際にボランティアセンターを設置することがあります。これは「手伝いに来てください」というメッセージでもあるんです。Fさんの提案も場を設けることで出所者の方達を「支えたい人」が集いやすいというメリットもあると思いました。

 

様々な分野を重ねることで、真の課題解決につながる

水上 優
住宅から仕事が分断されて、住居専用になっているのは大問題で、社会のでき方、「住居専用地域」という括り方がある種の問題を孕んでいます。ある時点での合理的、合目的な視点で物事を「仕切る」ために、合理性や目的が時間のなかで変わることに対応できない。たとえば建物がまだ使えるので用途変更しようとしても住居専用地域では店舗に変更することはできなかったりします。また、それらの「仕切り」から外れたものをまとめて別の枠(地域や施設)をつくることで、実は「外れたもの」のレッテルを貼って区別を強化し、交流を阻害している点も大問題です。
だからもう一回、混ぜなきゃダメだと思っています。4年前期に『住居専用ではない集合住宅』という課題を出した時に、Fさんの着眼点に僕も水をかけられたような感じがした。混沌とした場所をあえてつくることが、大きな問題に深く入っていく窓口になっている面では、非常にいいと思っています。

 

院生N
オリンピック誘致を機に、まちを綺麗にみせるために、ホームレスの方達がベンチで寝られないように手すりをつけた「排除ベンチ」がたくさんつくられましたが、今回提案された場はその逆の発想。ハード面から「混ぜるデザイン」をしていったんですね

 

井関 崇博
最後に、それぞれ一言ずつ感想をお願いします。

 

学生F
自分が考えたことについて、いろいろな観点から意見をもらえたことがとても貴重な機会だったなと思いました。私は社会問題に対して建築側からアプローチしましたが、現場のことや、社会や制度の面の話を聞くと、多角的にアプローチしないと解決していかない問題だなと改めて思いました。今回の設計にあたって、現場への取材ができなかったので、この機会は貴重でした。

 

竹端 寛
いまの話を引き継ぐと、受刑者の更生の話というのは「司法福祉」と言われていて、司法、福祉、建築が重なる領域です。普通ならバラバラに分かれていて、同じテーブルで議論することは難しいのですが、環境人間学部は多方面の専門家がいて、例えば民法が専門の喜友名菜織先生は裁判所の見学をされています。また、私であれば罪を犯した障害者の地域生活を支える支援者の研修をしています。一見するとバラバラな動きですが、その気になればいろんな視点で一つの問題を考えることができるわけです。建築を建築だけで、福祉を福祉だけで、法律を法律だけで考えない。さまざまなレイヤーを重ねることで、セクショナリズム(縦割り)を超えた、よりリアルな課題解決に近づいていけると議論を聞きながら思いました。

 

院生N
業務で福祉の専門職が参加する矯正施設の見学ツアーをしていますが、福祉職の人たちだけでいくと、どういう暮らしをしているか、どういうケアがされているかというところに目が向くのですが、水上ゼミの皆さんとご一緒したら、全く違う視点で見られるんでしょうね。別領域の視点が重なるのはおもしろいですね
あと、先ほどFさんが現場の取材ができなくて葛藤されたとおっしゃっていましたが、現場をあえて踏み込まず、でも想像力を駆使して考えていくということも大事で、そういう意味でFさんのチャレンジに改めて拍手を送りたいです。

 

水上 優
実は僕自身、学生時代の卒業設計は精神病院の建築でした。そのために多くのデイケアセンターや精神病院に調査に行ったのですが、施設を見せてもらい、スタッフの人には話を聞けたのですが、「絶対に患者とは喋るな」と言われました。それゆえに実態がよくわからず、完全燃焼できなかったその時の思いが未だに心に残ってます。その意味でFさんに改めてこのテーマをノックされた感じがしています。
この領域は建築側からいくと門前払いなんですね。そういう難しい領域はほかにも結構あると思います。Fさんの提案は、建築と社会学、都市計画、法律、文学、教育学といった「接点の必要性と可能性」を浮き彫りにしてくれました。こういう接点をつくることで、我々が社会に役立つ領域を切り拓いていけるのかも…という期待を持つことができました。この経験は、僕のように、いろんなかたちで、人生のどこかで関わることになると思います。Fさんもこれから折に触れて、そういう機会が見えてくると思いますよ。

 

学生F
ありがとうございました。この経験を、これからの人生に繋げていけるようにしたいです。

 

Fさんと水上優教授(卒業記念パーティにて)

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