街のシンボルとなる建築物に憧れ。 近代夏季オリンピックスタジアムについて研究。(三田村哲哉ゼミ)【高槻高校出身】
「建築」への憧れ。1年次に学んで適性をみれることが他の大学にない魅力。
中高一貫校で勉強に熱心な高校でした。多感な時期の6年間は私にとっては長く、やる気をなくした時期もありました。成績も下がり、自暴自棄になっていた私を目覚めさせてくれたのは、高校3年生の担任の先生でした。「このままでいいのか?」「何のために学校に来ているのか」「夢は何だったのか」と先生との面談を通して考えました。マイナスからのスタートでしたが受験勉強を始め、1年浪人を経て、環境人間学部への入学を決めました。
大学選びの第一条件は、「建築」が学べることでした。小さい頃からレゴブロックなどものづくりが好きで、テレビ番組「大改造!ビフォーアフター」の影響もあって、将来は建築に携わる仕事がしたいと憧れていました。ホームペーや学部パンフレットで環境人間学部を知り、建築以外にも幅広く学べることに魅力を感じました。防災や福祉などの他分野の知識は、建築をする上で役立つはずだと思ったからです。また、入学時ではなく、2年進級時に専門系を選択することから、1年生の間に自分の建築への適性を確認した上で進むことができるのは、他大学にない魅力だと思いました。
はじめて「建築」の学問に触れる喜び。苦労した「建築デザイン演習」での設計。
1年生では、建築関係の授業を軸に受講しました。ずっと学びたかった「建築」の学問に初めて触れた喜びがあり、また、内容も新鮮に感じました。中でも、三田村先生の「建築文化ツーリズム」で有名な建物の特徴について学ぶ講義は興味深く、建築の学びをさらに深めたいと思いました。建築以外の授業も受講した中で、建築を学びたい思いを再認識でき、当初の希望どおり環境デザイン系を選択しました。
環境デザイン系に進んでからは、1級建築士の受験資格取得を目標に、資格関連科目を中心に受講しました。2年生からは設計の授業「建築デザイン演習」が始まり、4年生までⅠ~Ⅷを順に受講していきます。
Ⅰでは、製図や模型の作り方を学んだ後、毎週「こういう敷地でこういう建物」などの課題が出され、1週間後、考えた建築案を提出します。提出する形もはじめは、エスキスと言われる簡単なスケッチ的なものから、順に設計図、CAD製作の図面、模型など高度で緻密なものになっていきました。この作業はまさに自分との戦いで、アイデアを生み出すため、パソコン画面と何時間もにらめっこして何の進捗もないことが度々。やっと設計ができても、模型を作る時間がなく徹夜が続いたこともありました。設計の難しさを感じながらも、完成した時の喜び、達成感は格別でした。そして、3年生でも建築が専門の三田村哲也ゼミで研究を進めることにしました。
三田村ゼミで「近代夏季オリンピック競技場群と閉会後の活用状況」について研究。
三田村ゼミは、研究テーマを自由に選べるところが魅力で、ゼミに入ってすぐに卒業研究のテーマを探しました。私は、野球が好きなので、アメリカメジャーリーグの球場について調べようと、現地に電話で問い合わせるなど資料収集に努めましたが、セキュリティーの問題で手に入れることができず断念。
そんな時、東京オリンピックスタジアムの建替え問題のニュースを目にして、このオリンピックスタジアムに焦点をあてるとよいのではないかと考え、資料集めを始めました。ログ検索サイトやネットで検索し続けて半年、IOC(国際オリンピック委員会)のオリンピック公式報告書の中に過去に開催した各国のスタジアムの資料を見つけ出すことができました。集めた資料や文献を基に、オリンピックという特殊な要素を持つ建造物が、どのような歴史を辿り変容していったかを調査、考察し、今後のオリンピック競技場に求められるものを明らかにすることを目的に研究しました。現在は、IOCが設定している設計基準の厳しさを指摘し、見直すことでうまれる利点をまとめています。
淡路島の設計プロジェクトが転機に。設計から施工の道へ。
卒業研究とは別に、3年生の夏休み、三田村ゼミOBの一級建築士の方の設計プロジェクトに参加しました。自分の設計への適性を見極めるいい機会だと思ったからです。実は、3年生のはじめから、設計が自分には向いていないのではないかと悩んでいました。真面目な性格ゆえか、新しいことに挑戦できず、いつもどこかにありそうな、つまらない設計になっていました。設計への再チャレンジのつもりで参加を決めました。
プロジェクトは、淡路島志筑地区の敷地に地域住民の交流拠点の設計案を作成するものでした。まず、現地に赴き、敷地や周辺の環境を視察。施主さんからの希望を聞いたのち、設計案を作成しました。私は、2階建ての建物に、宿泊施設、カフェ、共同キッチン、縁側つき畳スペースのある地域住民の交流施設を考案しました。施主さんはじめ地域住民の方々に見てもらったところ「それでは人は集まらない」など率直で、リアルな意見をいただくことができました。初めて実際に使う人からのフィードバックをもらい、自分の設計が一人よがりで、地域の人たちのことを何も分かっていないことに気づかされました。また、一級建築士の方から、実際にこの建物を施工するのはとても大変だと現場の意見も聞くことができました。
プロジェクトを通して、設計の難しさを改めて実感したのですが、他方で、いろいろな人と触れ合った経験から、現場で多くの人と関わりながら建物を完成させていく「施工」という仕事をやってみたいと思うようになりました。
「街のシンボルとなる建築物に携わりたい」。大手ゼネコンに就職。
3年の8月に合同企業説明会に参加。不動産、ハウスメーカー、インフラ系、建築設備などいろいろな企業の話を聞きました。さらに、インターンや座談会で社員の方々との会話を通して、建築業界の様々な業種について触れ、視野を広げることができました。
高校生の時、甲子園のアルプススタンドで従弟の高校を応援した時から、スタジアムのような大きな建物への憧れがありました。「街のシンボルとなる建築物に携わる」ことができるスーパーゼネコンに絞って就職活動を進め、大林組に内定をいただくことができました。いつか北海道にあるエスコンフィールドスタジアムのような世界規模のスタジアム建設に携わりたいと思っています。
幅広い分野をインプットして、自分の視野を広げつつ、自身の軸をみつける。
私は大学に入るまでに、学校や親から勧められてサイエンスフェスタや学術フォーラムによく参加していました。自主的に参加していたわけではないので、当時は何の意味もないと考えていましたが、今思い返すと視野を広げる貴重な機会だったと感じています。
大学に入ってからもいろいろな授業を受けたり、授業外で淡路島のプロジェクトに参加したりするなど、早いうちに幅広い分野のものをインプットしておくことはとても大切だと思います。
そしてそのあとに、お勧めなのが自己分析です。私は就職活動の最初から最後まで、自己分析し続けました。自己PRを箇条書きに書き出し、さらに詳しく箇条書きして書き加えていく作業を行い、最終的にはワード文章30枚にも及びました。この作業を通して、自分の中に自身のキャリアを考えていく上での軸のようなものができてきたように思います。ぜひ、みなさんもやってみてください。