かんなび 学びいろいろ、環境人間学部のみちしるべ。

2025.10.20

ふくしの現場から社会を問い直す学びの旅(大学院・竹端寛研究室)

はじめに

はじめまして。私は2023年に進学し、現在、環境人間学科博士前期課程で竹端寛研究室に所属しています。社会人院生として大学に通っており、普段は岡山県内の社会福祉協議会(以下、社協)でソーシャルワーカーとして働いています。

社協は、社会福祉法に規定され地域福祉の推進を目的として、全国すべての都道府県・市区町村に設置されている非営利団体です。地域福祉とは、一言で言えば、地域住民が主体となり、その地域の福祉課題を解決していくこと、いわば福祉のまちづくりです。

現在は、主に矯正施設(刑務所や少年院)を退所し、福祉的な支援を必要とする方の地域での暮らしをサポートする地域生活定着支援センターという部署にいます。

なぜ、大学院へ? 

なぜ、福祉の仕事をしている私が社会福祉を専門とする大学院ではなく、社会学を学べる研究室を選んだのか。この問いは、自身が研究を進める上で重要との指摘を受けて、改めて向き合ってみました。

社会福祉学は、人々が抱えるさまざまな生活問題の中で、社会的支援が必要なものに対し、その解決に向けた「社会福祉政策」を考え、研究し、実際に個々人や地域・社会に働きかける「実践」を推進する学問のことです。例えば、実践に必要な相談援助技術を学ぶことも含まれます。

これに対して、社会福祉を対象(社会現象)として、社会学の理論や方法をもとに研究していくのが福祉社会学です。社会学は、常識を問い直す学問ですので、福祉の当たり前を問い直していく、(ひっくり返していく学問)と言い換えてもいいと思います。

私の仕事であるソーシャルワークは、現場で感じた矛盾を出発点として、困難を抱える人たちを取り巻く、いわば当たり前とされている環境を少しずつ変えていくことを目指しています。その意味では、常に社会学的な思考が必要だとも言えます。

私は、日頃から福祉は誰にとっても関わりのあることなのに、世の中の関心があまり高くないことを残念に思っていました。福祉に直接関わる人だけではなく、ふだん福祉にあまり関わりがない人とも共に考え合うことで、世の中が誰にとっても生きやすくなるのではないか、もっと多様な人に福祉を伝えるにはどうしたらいいかを考えるようになりました。これは、社会福祉の分野では、「福祉学習」や「福祉教育」と呼ばれています。

私が研究で問い直したいと考えていること

私が研究を通して問い直したい福祉の当たり前、それはこの「福祉教育」という活動です。これは、学校や地域で、生きづらさを抱える人もそうでない人も共に生きる文化を生活の中に定着させ、共に生きることができる社会を創出していくことを目指すものです。社協にとっては「福祉教育に始まり、福祉教育に終わる」と言われるくらい大事な事業なのですが、現状は、世の中の価値観を揺さぶるような、効果的な事業展開ができていないと感じています。

例えば、ほとんどの社協では、学校に出向いて、障害や高齢による日常活動動作の擬似体験講座を行っていますが、これは介護技術や障害の負の部分に注目した学びになっています。これでは、「障害者や高齢者が困っていたら助けよう」と言う学びしか得られず、障害を個人の問題として捉えたままで、障害者が置かれている状況(環境?)には無関心のままで学びが止まってしまい、自分ごとになりません。生徒の「当たり前」を揺さぶる機会になっておらず、その価値観を変えることにつながりません。

私自身も福祉教育のあり方を考える研究会を開催したり、実践者を招いた研修などをしたりしてきましたが、もやもやを抱えたままで、具体的な一歩が踏み出せず、自分の中では納得のいく展開ができませんでした。

研究では、このもやもやに向き合っています。そのために、私たちの社会は、どんな価値観が根底にあるかを学んでいます。1年次の授業では、そのヒントを探るため、「能力主義」に関する書籍をたくさん読みました。「能力主義」は、一言で言えば「できる人が優秀」という考え方で学力やコミュニケーション能力で人の価値が計られるというものです。逆に「できない人」はどんどん排除されていきます。この考え方は世の中に大きな影響を与えています。また、マイノリティを理解しようとするのではなく、マジョリティの側が自分たちの特権性に気づく、そうした学び直しの動きにも注目しています。

今の私の仮説は、これからの福祉教育には「異なる他者とつながる力を育むこと」が大切なのではと考えています。そして、これまでの思いやりを育むことを目的とした道徳教育的なものから「なぜ障害のある人は生きづらいのか」と社会のあり方を問い直し、具体的な行動を起こしていく市民教育的なものに転換していくことが必要と考えています。

福祉は、社会の弱さが現れるという点で、この社会を表しています。目の前の人のケアをしているだけでは不十分で、能力主義を生み出している近代社会の枠組みの問題を脇に置き、社会福祉の「実践」だけを行うことは、現実の問題構造を強化することにつながります。

今、社会福祉の世界のキーワードは「地域共生社会」です。障害者と健常者が共に生きる社会というものをイメージする時、私たちは、お互いが助け合って生きる、思いやりにあふれた、やさしい社会を思い浮かべます。しかし、障害者と健常者は同じ人間ですが、両者には明らかに違いがあり、異なる他者同士でもあります。同じ人間であるはずの障害者と健常者が、現実には違う人間として、分け隔てられてしまっているのはなぜか。そこには何が不足しているのか。冒頭に述べた「異なる他者とつながる力」ではないでしょうか。

異なる価値観の人同士が、いかにお互いを認め合い、共存できるか。それには、思いやりだけでは不十分で、必要なことはお互いの「対話」、それを通した合意形成の経験が必要だと考えます。今後は実践者へのインタビュー調査などを通して、それを明らかにしていきたいと思います。

これから

私は県外在住でもあり、長期履修を申請し3年間での卒業を目指しているので、1年目は論文を書くための助走期間でした。副指導教員である井関先生の授業では、複数の論文を読み解くことを通して、その読み方を教えていただき、論文を読むのがとても楽しくなりました。竹端先生からは、学会でどんどん発表するようにとアドバイスを受けたので、1年次の12月に近畿地域福祉学会で発表し、1月も岡山県内の学会で発表しました。2年次は6月に日本地域福祉学会で発表、11月には、福祉教育・ボランティア学習学会で発表しました。こうした学会発表を通じて、自身の仮説を鍛えていく方法は私には非常に有益でした。

大学院は、自分の凝り固まった価値観をほぐして、学び直すことのできるとても豊かな時間が過ごせる場だと思います。大人になればなるほど、自分の考えを変えるのは難しい。岡山出身でもあるバンド「ブルーハーツ」の甲本ヒロトさんの歌に「見てきたものや聞いたこと いままで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう」と言う詩があります。そんな気持ちで学びながら、自分の考えを論じることができるように、学生生活を存分に楽しみたいと思います。

指導教員の竹端寛教授(左)の研究室にて。

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