株式会社不二家 中澤雪乃さん/「おうち時間」が長くなった今、ご家庭で楽しんでいただけるお菓子を
環境人間学部で学んだ先輩たちは今、大学での学びや経験をどのように活かしているのか。そして、「これからの時代の暮らし」について、どのように考えているのか。今回は、株式会社不二家 東京本社の洋菓子事業部で働く中澤雪乃さんに、オンライン取材をさせていただきました。
聞き手:二階堂薫
株式会社不二家 洋菓子事業部 中澤雪乃さん
兵庫県丹波市出身。2015年、兵庫県立大学 環境人間学部 国際教養コース(現国際文化系)に入学。大学在学中は、石倉和佳ゼミで18〜19世紀イギリスの文化や歴史に関する研究を進め、学会運営のサポートを担当。2019年に卒業後、株式会社不二家に入社。入社後すぐに直営店舗の店長を務め、現在は洋菓子事業部で奮闘中。
就職の決め手は「人」だった。
二階堂:本日は、よろしくお願いいたします!まず、現在のお住まいとお仕事について教えてください。
中澤さん:埼玉の川口市に住んでいます。株式会社不二家の営業推進という部署に配属される前は、お店の店長をしていました。研修期間が3ヵ月ほどありましたが、とにかく現場を知る!という意気込みで、未熟ながらも売上規模の大きな店で店長を務めさせていただきました。川口市にお店があったので、今も川口市に住んでいます。
現在の所属は、洋菓子事業部です。不二家は2業態で構成されていて、一般的なミルキーやカントリーマアムなど袋入りのお菓子を菓子事業部が担当し、私が所属している洋菓子事業部が扱っているのはケーキやギフト用のお菓子。今の部署に配属されたのは2020年10月なので、まだ半年ほどです。
二階堂:新入社員研修で、店長を?いきなり、大変ですね。
中澤さん:はい。研修として6ヵ月間、お店の店長を経験しました。私なんかが店長?と思っていましたが、とにかく「学ばせてください」という気持ちで努めました。店頭ではお客様の声を直接お聞きできるので、とても勉強になりました。
その後は、営業推進という部署に配属されました。関東の直営店50店舗ほどを受け持ち、「今週末は○○を販売しよう」と企画したり、各店舗に連絡したり。営業戦略を考える部署が他にあるので、その内容を伝えたり。営業戦略会議で意見を述べる機会もあります。
二階堂:50店舗も担当するなんて、目が回るような忙しさでは?
中澤さん:勤務は月〜金曜、キャンペーンの状況によっては土日に出勤することもありました。イベントのお手伝いなら、チラシを配付するとか、主に接客ですね。不二家は古いイメージをもたれているため、会社としては若い層のファンを獲得したい。そのためなら何でもやっていこう、という雰囲気です。
二階堂:不二家さんに就職した決め手は、何ですか?
中澤さん:お菓子が好きだったということもありますが、会社説明会に行ったとき、説明役が人事部の若い女性で、伝え方がすばらしかったんです。そのまま選考が進んで…就職を決めました。
二階堂:話し方が上手だったとか?でも、それだけではない気がします。
中澤さん:面接の時、書類を見て名前を確認することなく名前を呼んでくださったので、ちゃんと個人を見てくれているんだなと感じたんです。会社説明会が終わった後にお菓子が配られたのも嬉しくて(笑)。太っ腹な会社だなって。その印象は、入社後も変わりません。
大学へ飛び込んでから、色々学んだ。
二階堂:大学在学中は、どんな研究を?
中澤さん:国際教養コースで配属されたのが、石倉研究室でした。石倉和佳先生は、18〜19世紀のイギリスの文化研究がご専門の、イギリスのスペシャリストなんです。
二階堂:イギリスに興味を持ったきっかけを教えてください。
中澤さん:もともと、イギリスに関することを学びたいと考えていたわけではないんです。研究室を決めるにあたって、色んな教授の研究室を訪問したところ、石倉先生の印象がすっごくよくて。
二階堂:研究内容というよりは「人」で選んだということでしょうか?
中澤さん:そうかもしれません。何でもご存じなのにフランクに接してくださって、とても話しやすかった。イギリスに関する研究がしたいというより、石倉先生の人柄に惹かれた部分がほとんどです。
二階堂:そもそも、国際教養コースを選択されたのはなぜですか?
中澤さん:受験期に、大学のことを色々調べていた時は、英語が好きだったのですが、語学や歴史・文化を学ぼうとまでは決めていなかったんです。外国に関する何かを活かしていけたらいいなという思いがあったので、国際教養コースに入りたいと思いました。
二階堂:入学してから、テーマを絞っていった?
中澤さん:私の場合は、大学へ飛び込んでから先生に教わったり、色々学んだり。石倉先生に出会って、その世界に入らせてもらった…という感じです。
二階堂:実際に、入学してみてどうでしたか?
中澤さん:環境人間学部は全体的に、ゼミが少人数なのが特長だと思います。研究室にもよると思いますが、国際系のゼミは5人くらい。少し多くて6名で、2〜3名のゼミもあります。
二階堂:先生やゼミ生同士の関わりが深そうですね。
中澤さん:はい。おのずと、先生と話す時間が長くなります。人数が少ないから、自分が話す機会も、先生から聞く言葉も多くなる。それが、すっごくよかったのではと思います。
二階堂:それは…いい意味で、さぼれませんね。
中澤さん:そうですね(笑)。何か調べものがあるとしたら、やって来ていないとバレバレです。怒られることはありませんが、やって来なかった理由は問われます。何かを発表する時、自分の出番の前の子が話しすぎて自分の時間が減るようなこともないので、ある意味、逃げられないのは確かです。けれど責められて萎縮するような雰囲気ではなく、とっても居心地がよかったです。
自分はどう思うか、から研究が始まる。
二階堂:研究って、どんな風に進めていくのですか?
中澤さん:週に1回、ゼミがあって。出されたテーマについてまとめてくるようにと課題が出るので、それを自分なりに組み立てて発表します。3回生は、英語を交えながら発表します。
二階堂:英語で!それだけで大変そうです。どんなテーマが課題に?
中澤さん:ゴシック建築とはどういうものか、シノワズリ(ヨーロッパで流行した、中国趣味の美術様式)についてとか。18世紀イギリスで活躍したデザイナーであるウィリアム・モリスの人生についても調べました。美人の奥様がどんな人だったのか、お金持ちのお坊ちゃんだったモリスとの格差婚についてとか…。
石倉先生から「資料にはこう書いてありますが、中澤さんはどう思いますか」「モリスは、ただ美しければよかったのでしょうか」などの問いかけがあって。事実は曲げられないけれど、解釈は自分で持たなくてはならないと教わり、たくさんの文献から自分なりの解釈を考えました。
二階堂:正解はないから、同じテーマでも様々な解釈があるのでしょうね。
中澤さん:はい。石倉先生がおっしゃるには、モリスについての課題を発表する際に、私は「モリスは夢に生きる人だと思います」と語ったそうです。石倉先生は「対象を、どういう切り口でどう見るかによって、見える世界が全く変わります」と話してくださいました。
二階堂:卒業研究には、どんなテーマを選んだのですか?
中澤さん:ウィリアム・モリスの人物像をテーマにしました。卒業論文を書くにあたって「例えば、こういうテーマがありますよ」と石倉先生がたくさん提示してくださった中にモリスがあって。
二階堂:ウィリアム・モリスといえば、植物を用いたテキスタイルが有名ですよね。
中澤さん:そうですそうです。用いる植物モチーフひとつひとつに意味が込められているので、石倉先生に解説してもらったり、様々な文献をはじめ、モリス自身のスピーチや小説を読んで勉強しました。デザインだけでなく、建築家として活躍していたり、多方面で活躍した人だと聞いて、モリスについてもっと知りたい!と思った記憶があります。
トラブルが、人ってあたたかいと教えてくれた。
二階堂:研究の他、中澤さんは、石倉先生が所属しておられる学会のサポートをしていたとお聞きしました。
中澤さん:はい。2018年にイギリス・ロマン派学会の全国大会が姫路環境人間キャンパスでおこなわれた際に、お手伝いさせていただきました。
二階堂:その他、学生時代に打ち込んだことがあれば教えてください。
中澤さん:大学生協学生委員会(通称:GI)に所属していました。主な活動は、新入生が友だちをつくれるように新入生歓迎会を開催したり、オープンキャンパスの企画をたてたり、合格が決まった高校3年生の保護者を対象に保護者説明会をおこなったりです。大学の生協さんと協力して、活動していました。サークル活動をしたいという強い思いがあったわけではなく、入学後に参加したGIの例会で実行委員のみなさんの様子を見て、私もこれやりたい!と思ったんです。
二階堂:アルバイトは?
中澤さん:留学したいと思っていたので、大学近くの「菓子工房 しもさん家」という洋菓子店でバイトしてました。今思うと、お菓子がすっごく好きでしたね(笑)。
二階堂:他に、学生時代に熱中していたことは?
中澤さん:3回生の時に1ヵ月間、留学しました。兵庫県立大学の学術交流協定締結校であるシアトルのワシントン大学で、単位ももらえるプログラムに参加したんです。留学やフライトの手続き、ホームステイ先を見つけるのも大学のプログラムに参加するのも、すべて自分でしなくてはいけなくて大変でした。シアトルへ行ってからも、けっこうやばいトラブル続きで…。
二階堂:やばいトラブル…差し支えなければお聞かせください。
中澤さん:例えば…大学の行き帰りにはバスを利用するのですが、初日の帰りにバスを間違えてしまって。シアトルのど真ん中の高速道路で降ろされて、帰れなくなったんです。携帯電話も使えず、身一つで、全く知らない土地で、言葉もつたない状況で独りぼっちになって。どうすればいいか分からなくて、泣きながら来た道を歩いていました。
すると、中国人の女性に話しかけられて、ホームステイ先の住所を調べてくれて、1時間一緒に歩いてくれて。無事に帰り着いた時、ホームステイ先のおばあちゃんが「めちゃくちゃ心配したわ!」とギューッと抱きしめてくれて。まだ初日だったのに、大切に思っていてくださったんです。その後は、30分に1回くらい「You are my sweet !」と言ってくださいました。
二階堂:よくぞ、ご無事で!その体験を通して感じたことを、お聞かせください。
中澤さん:海外旅行が好きだったので、海外へは何度か行ったことがあったんです。韓国、台湾、香港、タイのバンコクとか。シアトルでは、短期留学とはいえ、現地の方と一緒に生活するという初めての経験をしました。トラブルを含め、色んなできごとを通して、人のあたたかさとか、困っている人がいたら助けるという当たり前のことを意識するようになったんです。異国で、右も左も分からない状態で助けてもらう立場になって初めて、深く実感したことでした。
学んだのは、人を見つめる大切さ。
二階堂:環境人間学部でよかったな、と思うことを教えてください。
中澤さん:世間で色々議論されているようですが、私は、文系というのは非常に大事な学問だと思っています。人を見つめることは、何よりも大切なんじゃないかって。
環境人間学部には6つのコース(現在は、4系1課程)があって、いろんな分野に詳しい専門的な先生がいらっしゃる中、比較して選択できたというのが大きかったなと思います。国際教養コースだけでなく、他のコースの先生方のお話も聞けるので、様々な分野の多彩な研究についてたくさん見知った末に、自分は何が知りたいのか、何を学びたいのかを考えて、自分の意思で選べるというのがすごい。
建築系を学びたくて入学した子が、環境共生社会コース(現社会デザイン系)の井関崇博先生のお話を聞いて地域活性を研究したいと言うようになったり。色んな先生のお話に刺激を受けて、挑戦したいジャンルを変えた子もいます。
二階堂:高校生の時は、どんな風に進路を決めたのですか?
中澤さん:私は、自分のやりたいことや得意なこと、興味のあることが「英語」や「海外」だったので、そういうことを勉強するという大枠を決めました。大学に入ってみると、本当に色んな分野があって。自分が学びたかった「英語」につながることとして、イギリスの文化研究という分野に出会えた気がします。
未来の自分を助けるのは、過去に勉強した自分。
二階堂:新型コロナウイルスの影響で、変化したことや新たに気づいたことは?
中澤さん:仕事は、ほぼテレワークになりました。世の中のみなさんの暮らし方の変化によって「おうち時間」が長くなり、ご家庭でお菓子を楽しんでいただく企画がすごく増えました。袋物の、お菓子の徳用パックも売れていると思います。
プライベートでは、人とほとんど会わなくなりました。食事に行くような機会がなくなったので、交流が減ったんです。ストレス解消法として、ひたすら町歩きをしています。わたしの実家は兵庫県・丹波市の山の中にあって、まわりは森や畑ばかりでした。東京ではどこを見ても完成されたものばかりなので、歩くのが楽しくて。2時間くらい、平気で歩いています。
二階堂:将来、こんな風になりたいなぁというイメージをお持ちでしたら。
中澤さん:人生設計みたいなものはないのですが、仕事は辞めたくないなと思います。できれば結婚して…石倉先生みたいに両立できたらいいなぁと。そしていずれは、兵庫へ帰りたいなと思っています。
二階堂:とっても名残惜しいのですが…最後に、在校生や高校生にひとこと、お願いします。
中澤さん:私は、学生時代にやりたかったことをやり尽くした気がします。未来の自分を助けてくれるのは、過去に勉強した自分です。自分のためだけに使える時間が充分あったのは、大学生の特権だったんだなと。みなさんにはぜひ、存分に使ってほしいなと思います。それと、苦しい時期は誰にでもありますが、時間がかかろうと必ず乗り越えられます。何事にも前向きにチャレンジしてください!