かんなび 学びいろいろ、環境人間学部のみちしるべ。

2023.04.30

(財)西粟倉むらまるごと研究所/一級建築士事務所ヒトトキ設計室(2017年卒・2019年修了)/「設計」はあくまで一つの“手段”。 一人の村民として、地域に必要な場づくりやプロジェクトを進行中

建築士をしながら、こんなことをしています。

兵庫県と鳥取県の県境にある岡山県西粟倉村に移住し、建築士の仕事をしながら『一般財団法人 西粟倉むらまるごと研究所』の理事をしています。この研究所は西粟倉村と共に設立した法人で、村の願いの実現や課題解決のために外部企業と地域をマッチングし、さまざまな実証実験を行う機関。現在、高齢者の多い中山間地域の草刈り問題を解決できるよう、自動車メーカーと一緒に自動操縦の草刈機をつくるプロジェクトなどが進行中です。

西粟倉村の建築事務所に入社してまもなく、『西粟倉むらまるごと研究所』の立ち上げに携わったことがご縁で、今に至ります。当初からこの法人の将来がどうあるべきか、中心メンバーとして携わってきたため、自然と業務量も増えてきました。人手が少ない中で、もっと腰を据えてこの業務に携わりたいと思い、前職を退職し、2022年から独立。一級建築士事務所を構え、建築の仕事をしながら、当法人で住環境・空き家活用に関わるプロジェクトや関係人口増を目指す拠点施設の運営を手掛けています。

企業と草刈りロボの開発

小さくても先進的な西粟倉村。

西粟倉村は、平成の大合併で「市町村合併をしない」という選択をとり、自立した「村」として残ることを決めた自治体です。村の約9割を占める森林の価値を高め、50年先の子どもたちにも価値ある森林を残していく「百年の森林構想」という政策を敢行。人口約1300人の小さな村ながら、バイオマスエネルギーの生成やローカルベンチャーの育成などにもいち早く取り組んだ先進的な自治体として、全国から移住者が集まるようになりました。私も2020年に「地域おこし協力隊」として移住しました。

県立大で建築を学び、就職活動を辞め大学院へ。

大学では建築を専攻し、安枝英俊先生の下で主に建築計画を学びました。県立大学の学生団体『木の子』に所属し、姫路近郊の里山を子どもの遊び場にする『ツリーハウスプロジェクト』に参加した他、エコ・ヒューマン地域連携センターの教員だった内平隆之先生に誘われて、加西市の『ハリマ王にんにく』や福崎町の『もち麦』など、地域の在来作物をまちの文化として活用し、次世代に種をつなげるための『在来種プロジェクト』にも参加。これらの活動内容をまとめ、ビジネスリーダー育成を目的とした教育プログラム『ENACTUS』でプレゼンテーションを行い、3年生の時に準優勝、チームリーダーとなった4年生の時には優勝を経験。北京で行われたワールドカップにも日本代表として出場しました。

 

在来種プロジェクト

ENACTUS ワールドカップ(北京)

4年生の時の就職活動ではハウスメーカーなどの説明会には参加しましたが、自分のやりたいことは設計だけに収まらないかも……と思い、就職活動を途中で辞め、大学院進学に進路を変更。大学院では、安枝先生の指導のもと、大学の隣町、姫路市北八代町で地域の集会所建築を計画し、地域の人と使い方を検討したり、イベントを企画したりする実践的なプロジェクトに携わりました。修士論文では、「独居高齢者の交流行動」を研究。北八代町と宍粟市山崎町の高齢者を対象に調査を行い、都市住宅学会で学会発表を行ないました。

地域と深く関わりたくて、加西市の工務店に就職。

大学院修了後は、北八代町の集会所づくりでお世話になった加西市の工務店に就職しました。地方の工務店を選んだのは、ローカルに入っていき、専門性を活かしながら「まち」と関わりを持ちたいと考えたからです。県産材等の木材を製材から手がけているその工務店の姿勢は、「住宅や建築」と「環境保全」をつなげる意義のあることと思いました。また、Uターンを考える若い子育て世代からの支持が厚く、このまちで生きていこうとする人たちの家を「まち」というスケールで考えられること、そして、何十年も街に残るものをつくり、建てた後もメンテナンスをしながら守り続けるという地域の工務店の役割にも大きな魅力を感じました。

転機は、農業高校のレストラン計画。

地域の方と対話しながら、街に必要な空間を作っていく工務店での仕事に喜びを感じていた一方で、大手企業に勤めている同級生と比べてしまい、自分に自信が持てない時期がありました。そんな時、兵庫県立播磨農業高校の生徒が育てた野菜を味わえるレストランを、街の空き家を再生してつくるプロジェクトが立ち上がり、加西市から勤務先に相談があったのです。設計や改修工事だけでなくワークショップの企画運営など、レストラン完成に向けて進めていくファシリテーターが必要となり、学生時代に地域のプロジェクトを運営していた新卒2年目の私が担当させてもらえることになりました。

家づくりのように、設計士と施主の「一対一のやり取り」ではなく、まちで何かをつくるとなると、関わる人もたくさん出てきます。高校生や地域の人々、行政の方と意思疎通を図り、一つの方向に導くために整理していく難しさとやりがいを感じながら、完成に至るまで2年の時間を費やす中で、私の中で確信したことがありました。

「建物」ではなく、「居場所」やそこで生まれる「情景」を設計したかったんだ。

家族の一生を育む住宅の設計は、とてもやりがいがある楽しい仕事です。しかし、高校生や地元の人たちとのレストランづくりを経て、自分は設計だけでなく、地域の方とコミュニケーションをとりながら地域に必要な場をつくっていく仕事がしたいんだと確信しました。人と人が交わり、そこで偶発的に芽生える人々の生きがいや情景を、空間設計やコミュニティづくりでサポートしたい。そのためにも建築以外の視点を広げたい、「まちづくり」の最先端の場所で学びたい。そう思った時に注目したのが西粟倉村でした。大学の講義で名前を知っている程度で、縁もゆかりもない村でしたが、最先端でチャレンジしている人たちと一緒に面白いことをやりたくて、新しい土地に飛び込んだのです。

企業研修の受け入れ

子供とものづくり教室

運営するリビングラボで村民向けイベントを開催

誰かの願いを実現するための手段を増やす。「職業名」にとらわれない働き方。

「自分のやりたいことをやった方がいい」という言葉をよく聞きます。私も、自分の夢って? 実現したいことは? と漠然と悩んだ時期がありました。しかし、「やりたいこと」は何も「自分の」夢や願いを叶えることだけでなく、「誰かの」やりたいや夢をサポートすることも、立派な自分のやりたいこと、であることに気づきました。そう考えると私は、誰かの「やりたい」に共感し、サポートすることに能力を発揮できるタイプ。それに気づかせてもらったのは学部生の時です。いわゆる建築の設計士として頑張ろうと変なプライドを持っていた頃に、地域に関わるプロジェクトや学会発表への参加をすすめてくれた先生方はきっと、「秋山にはチームを引っ張ったり、全体のことを考えたりする方に適正がある」と見てくれていたのだと思います。

このような大学時代の経験を経て、今では「設計士」であることが大事なのではなく、設計もあくまで、誰かの願いを実現するための一つの手段、と捉えて活動をしています。職業・職種名にとらわれず、誰かの願いを実現するために、チームでその方法を検討し実行することが私の仕事になっています。

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