かんなび 学びいろいろ、環境人間学部のみちしるべ。

2022.04.20

災害詩をとおして見えてくるもの(教員:高橋綾子)

はじめに

兵庫県立大学環境人間学部国際文化系の高橋綾子です。私の専門分野はアメリカ文学、文化、環境文学、アメリカ現代詩、そして、日米の災害詩を研究しています。今回、福島とカリフォルニア災害の詩歌を通じて、世界とつながりを考えていきます。

コロナ禍の2022年は、阪神淡路大震災から27年目、東日本大震災から11年目の年です。兵庫県も27年前に未曽有の災害を経験しました。阪神淡路大震災の甚大な被害は防災へ基準、備えに劇的な変化をもたらしました。兵庫県立大学は、大学院減災・復興政策研究科を中心として、防災教育研究センターや神戸防災キャンパス分室を拠点として、防災研究、防災教育で日本を先導しています。筆者は、環境文学の方法論をもとに、詩人、歌人、俳人、作家たちが災害をどのように伝え、同時に、詩歌の在り方自体をどのように変化させてきたかに着目しています。

 

東日本大震災と災害詩

東日本大震災を思い出してみましょう。巨大津波が到達した後、福島第一原子力発電所の爆発が起こりました。これにより、福島第一原発周辺の双葉町、南相馬市の住民が避難、退去を余儀なくされました。ここで、紹介する詩人の和合亮一さんと歌人本田一弘さんは福島県の高等学校の教員(国語の先生)をされています。お二人は高校の同級生です。和合さんは地震が起こった時に、福島市の高校で入試の判定会議の真最中でした。本田さんは会津若松で被災されました。それでは、お二人の作品を通して、福島の災害詩を考えていきましょう。

和合さんは、震災後、両親と家族の安否を確認、家族は山形県へ避難します。息子さんは小学校六年生で卒業式を目前に控えたときの避難でした。ご両親は「福島に残る」とおっしゃったため、和合さんは家族と別れて福島市に残り、高校の勤務を続けられました。被災5日目となる2011年3月16日から、和合さん自身未経験のツイッターを通して、被災地の様子を詩として投稿しました。東日本大震災はソーシャルネットサービスが伝えた初めての災害と後に言われることになります。それでは、和合さんの『詩の礫』を引用してみましょう。

 

「震災に遭いました。避難所に居ましたが、落ち着いたので、仕事をするために戻りました。みなさんにいろいろとご心配をおかけいたしました。励ましをありがとうございました。2011年3月16日4:23」

「本日で被災六日目になります。物の見方や考え方が変わりました。2011年3月16日4:29」

「行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。2011年3月16日4:30」

「放射能が降っています。静かな夜です。2011年3月16日4:30」

「ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。2011年3月16日4:31」

「屋外から戻ったら、髪と手と顔を洗いなさいと教えられました。私たちには、それを洗う水など無いのです。2011年3月16日4:37」

「私が暮らした南相馬市に物資が届いていないそうです。南相馬市に入りたくないという理由だそうです。南相馬市を救って下さい。2011年3月16日4:40」

「あなたにとって故郷とは、どのようなものですか。私は故郷を捨てません。故郷は私の全てです。2011年3月16日4:44」

 

丁寧な言葉使いの中に、震災の不条理さへの嘆きや原発事故に対する怒りが伝わってきていると思いませんか。

「作品を修羅のように書きたい」というのは、震災の被害による悲しみの為に心の中の琴線が切れてしまいましたが、それでも力を振り絞って作品を書いていくと言う強い意思が顕れていると思います。ツイッターを受け取った人たち、そして、10年後の読者である我々でさえも、「放射能が降っています。静かな夜です。」という二つの短文の組み合わせに驚きを感じます。「放射能が降る」という原子力汚染が同じ日本の福島県の和合さんの周辺で起こっているのです、被爆国である日本は、放射能被害の非人道性を学んでいます。「放射能が降る」と聞けば、この世の最も恐ろしい世界、この世はもはや終わりに近づいているのではないかと想像してしまいます。このような表現には汚染を告発する力があると思いませんか。また、和合さんは教え子を津波で亡くしています。その悲しみが伝わってきていると思います。

東日本大震災と短歌

それでは、次に和合さんと高校の同級生本田一弘の短歌集『磐梯』を紹介しましょう。本田さんは津波の被害が報道される中で次のような短歌を書きます。

 

「みちのく死者死ぬなかれひとりづつわれがあなたの死をうたふまで(磐梯 40)」

 

「ひとりづつわれがあなたの死をうたふ」には歌人の弔いの想いが伝わってきて、切ない気持ちになります。次の歌はどうでしょうか。

 

「官軍に原子力発電にふるさとを追はれ続けるふくしま人(びと)は(磐梯 83)」

 

「官軍」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。戊辰戦争の時の、新政府側の軍隊のことです。福島会津若松城は、領主は松平氏で、幕府軍として戦いました。激戦の後、会津若松城は落城し、旧会津藩の侍たちは青森の斗南藩に移っていきました。本田さんは、戊辰戦争の時に、故郷を追われたのと同じように、原発事故で故郷から強制的に避難した人々を重ね合わせています。この歌の中には故郷を去らなくてはならなかった喪失感が描かれています。故郷を追われた悲しみは、「故郷喪失」と言い、何らかの政治的な事情で国を追われた世界各地の人びとと共通するものです。それでは、本田さんは、放射能汚染についてどのように短歌にしているでしょうか。

 

「「じいちゃん家(ち)のスイカ食べていいですか」答へられないさみだれわれは(磐梯 85)」

「モニタリグポスト埋もるる雪の朝われと生徒と白い息吐く(磐梯 166)」

「「甲状腺検査」だといふ五時間目「古典」の授業に五人公欠(磐梯 181)」

 

一番目の歌は、震災直後の福島に暮らすおじいさんが作ったスイカについての問答です。風評被害だと知りつつも、答えられない人間のやり場のない苦悩があります。本田さんの暮らす会津若松にも放射能の数値を計るモニタリングポストが設置され、本田さんが生徒とそれを見つめる様子が伝わります。第三番目は、放射能汚染によって、福島県民は「甲状腺検査」を受診せねばなりませんでした。本田さんの担当する古典の授業でも学生が欠席しています。これらの3つの短歌に共通するのは、放射能汚染、その除染に直面した福島の方々の暮らしです。私たちは福島の方々が感じた、放射能汚染に関するやり場のない苦悩の実態を決して忘れてはならないと考えています。本田さんの2018年の歌集『あらがね』からの引用です。

 

「原発(ゲンパヅ)を(ヲ)建てた(タデダ)けれども(ゲンチョモ)我々(オレダヂ)は(ワ)こんな(コッダナ)事態(ゴト)に(ニ)なる(ナツ)と(ト)思(オモ)はず(ワネ)」(本田一弘歌集 115) (  )はフリガナ

「東北を六つに分けて海沿いに原発十四建てしわれらは 」(本田一弘歌集 115)

 

震災と原発事故を境に、福島が大きく変化してしまったことが伝ってきます。東京電力福島第一原子力発電所で発電された電力は福島県民だけが使用する目的ではありません。原子力発電所が地方にあることの理不尽さ、都市と地方の問題が問われていると思いませんか。このようにして、災害詩には、社会的正義とは一体何なのかを問いただす大切な役割があります。

カリフォルニア山火事と子供たちの災害詩

それでは、ここで、カリフォルニアに目を向け見ましょう。カリフォルニアは、太平洋に面しており、明治時代、1860年遣米使節団を乗せた咸臨丸が米国に到着したのはカリフォルニアです。また、長い間、兵庫県の神戸からカリフォルニア行の船が日本とアメリカをつないできました。カリフォルニアは、温暖な気候に恵まれた土地ですが、気候変動のため、少雨と乾燥が加速し、山火事が市民を苦しめています。つまり、カリフォルニアの人びとにとって山火事は、気候変動がもたらした危機的状態です。『カリフォルニア 火災と水源 気候危機選集』(California Fire & Water: A Climate Crisis Anthology 2020)はカリフォルニアの災害、つまり、山火事をテーマし、カリフォルニアに所縁のある老若男女の詩集です。ここではアメリカの小学生の詩を二篇紹介します。

 

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「シカ」

私はシカ
私の近くの森が
削られているのがわかる
地球がだんだん暖かくなるのを
感じる
海の波がだんだん近づくのが
聞こえる
夏には乾いた塵が
口の中に吹き込んで
くるのがわかり そして
私の赤ちゃんが
水を欲しがり死にそうに
なっている
私は山のライオンが腹を空かせて
私を食べに来るのではないかと
恐れている (California Fire & Water 110)

フンボルト郡トリリウム修道院学校4年
オリバー・ルナ

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ルナさんの「シカ」では、語り手がシカ、つまり、シカが擬人化されており、語り手を通して、シカの気持ちが伝わってくるのが特徴です。「森が削られ」には野生動物の住処が少なくなってきていて、「地球がだんだん暖かくなる」は地球温暖化であるとわかります。「海の波がだんだん近づ」いてしまった理由は、森が削られ、木々が伐採されることにより、海が近くなってしまったためです。木々が茂り森となっていれば、塵が吹き込むことありません。語り手がシカの視点になることにより、気候変動や山火事というものが人間の無理解な活動によって引き起こされたことを気づかせてくれます。

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「山火事の世界」

熱は
木々を吸い込み
家々を
一片の灰、塵になるまで
焼きつくす
電線が裂け
爆発し
山火事に火をつける
動物たちは苦しみ、
植物も苦しむ
山火事は地球を分解する
もっと強くなってもっと怒り狂う
僕は世界を救いたい
ともに助け合う
新しい「世界」を創っていく(California Fire & Water 126)

サンディエゴ ワシントンカーヴァ―小学校4年
ジャスティン・ニュエン

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ニュエンさんの「山火事の世界」では、語り手「僕」はニュエンさん自身を思い起こさせる少年であるでしょう。この詩では、山火事の様子が具体的に描写されていて、電線が爆発することにより、さらに火災が深刻化することを語っています。「山火事は地球を分解する」が印象的であり、「破壊する」ではなく、「分解する」なのです。ニュエンさんは、山火事によって、平和な世界が分断されてしまう非常事態を訴えています。しかし、ニュエンさんは嘆いてばかりいません。その決意が「ともに助け合う 新しい『世界』を創っていく」に表明されています。

おわりに

災害における人間、動物、植物の声を伝える災害詩は、これまでの人間活動が本当に正しかったのかという反省を私たちにもたらしてくれます。その反省を真摯にとらえることが災害詩を学ぶことの大切な目的です。神戸には、世界中に知られた災害詩があります。そうです、臼井真さんの「しあわせ運べるように」です。この歌は世界中の災害に見舞われた人々を勇気づけています。防災の拠点、兵庫県から、日本や世界各地の災害詩を一緒に学びその力を発信していきませんか。

参考文献

Fisk, Molly. ed. California Fire & Water: A Climate Crisis Anthology. Story Street Press, 2020.

和合亮一『詩の礫』徳間書店、2011年。

本田一弘『磐梯』青磁者、2014年。

—. 『本田一弘歌集 現代短歌文庫154』砂子屋書房、2021年。

 

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