熱帯泥炭(でいたん)林では何が起こっているのか?(教員:伊藤雅之)
兵庫県立大学環境人間学部環境デザイン系
准教授 伊藤雅之
人間活動は地域・地球環境にどう影響しているのか?
■今回は環境デザイン系の伊藤雅之先生にお話を伺います。まずは、自己紹介をお願いします。
伊藤:出身は大阪府で、2018年に環境人間学部に着任しました。専門は大まかに言えば環境学、詳しく言えば生物地球化学(生物+地学+化学)や水文学(すいもんがく:水の動きを調べる)です。
■生物、地学、化学、水文学・・・。いきなり学問名がたくさん出てきました。早くもめまいがしてきました(笑)。
伊藤:専門分野の名称はあまり気にしなくていいです。具体的にいうと、まず、生態系ってありますよね。
■はい。生態系。生き物どうしのつながりとか、生き物とその環境とのつながりとか、そういうことでいいですか。
伊藤:だいたいOKです。生物社会のまとまりのことで、そこには生物間の相互関係、生物と環境との相互関係が形成されています。いろいろな種類があり、また、そのスケールも様々。私は国内や海外のいろいろな生態系を対象に、生態系内部での水質の変化や温暖化ガス(二酸化炭素:CO2やメタン:CH4など)の発生・吸収など、様々な物質の動きを調査しています。(以下の写真はメタン測定装置)
■なるほど。生態系の中で物質がどのように動いているか、ということを調べているのですね。
伊藤:はい。例えば森林では、葉っぱが光合成して大気中のCO2を吸収(固定)します。他方、土の中では根っこや微生物が炭素を分解(呼吸)して、CO2をたくさん放出します(こちらは環境デザイン系の大橋先生がご専門です)。
また、湿地や水田など水浸しの土壌にはメタン生成菌という菌がいて、大量のメタンを放出します。川の水の水質は、人のいない上流の森林から、下流の皆さんが住む場所にくると、排水などから炭素や窒素などいろいろなものを含み、変化していきます。このように、皆さんの周りにあるガスや水に溶けている物質は、姿かたちを変えながらグルグルと循環しています。
■ふむふむ。その生態系の中の物質のうごきが分かると、どんないいことがあるのでしょうか。
伊藤:普段、歩いている土の中や、流れる川の水、大気中にはいろいろな物質が含まれいて、それらはそこに住んでいる微生物や動物、植物の働きを受けて、常に反応、交換されています。けれど、実際にはこれらはとても複雑に関係しあっていて、人間が理解できている部分はごく一部といえます。
私たちはその炭素や窒素などの主要な物質が循環するメカニズムを調べることで、これまでどのようにして自然環境の変化が起こってきたか?また将来人間活動などによって大気の環境などがどう変化するか?についての予測に繋がる研究をしています。
研究フィールドは熱帯地域の泥炭湿地林
■先生は国内だけでなく、海外をフィールドに研究されていますよね。
伊藤:はい。インドネシア・マレーシアなど東南アジア、南米(ペルーなど)、アフリカ(コンゴなど)に広く分布する熱帯泥炭(でいたん)湿地林という森林について研究しています。
■熱帯、泥炭、湿地林。三つの言葉がくっついていますね。
伊藤:皆さんはテレビなどで熱帯林というものをよくみると思いますが、熱帯泥炭湿地林というのは、雨季には地面が湿地のようになります。ずっと水につかっているため、倒木や落ち葉が分解されず、数千年分にもわたる炭素が「泥炭」として地面の中に蓄積されています。いわば、「炭素の貯蔵庫」です。
■数千年前とはまたスケールが大きい。数千年前といえば日本は縄文時代です。
伊藤:下の写真は、インドネシアの泥炭湿地林にある高さ40m観測タワーからの写真です。真ん中に写っているのはオランウータンの母子です。
■高さ40mということは、オラウータンの方も同じくらいの高さにいるということ!?こういう深い森の中で調査されているんですね。
伊藤:はい。それと、下の写真は泥炭を調査しているときのものです。
■腰まですっぽり入ってますね。これはメジャーで深さを測っているところでしょうか。
伊藤:そうです。この泥炭を深さごとに採取して分析すると、千年単位の歴史がわかるんです。
伊藤:上の写真は泥炭土壌から地下水を採取しているところです。紅茶やコーヒーのような色をしています。
■調査ではいろいろなものを採取していくんですね。
伊藤:採取したものを研究室に持ち帰り、詳細に分析していきます。
アブラヤシ(オイルパーム)を知ってますか?
伊藤:ところで、この写真なんだかわかりますか?
■南国の木にみえます。
伊藤:これはアブラヤシです。
■ここから油をとる?
伊藤:はい。オイルパーム、パーム油(オイル)でもよいです。普段食べているチョコレートやアイスクリームの原材料名欄に「植物油脂」という言葉がありませんか?
■見たことがあるような。。。あまり深く考えたことはありませんでしたが。
伊藤:その多くにパーム油が使われています。その他にもインスタント麺やフライドポテトの揚げ油や、洗剤、化粧品、燃料など様々なものに加工されて使用されています。実は日本人一人当たり年間約5㎏も消費しています。
■日本人にとって非常に身近なもので、なくてはならないもの。
伊藤:その多くがマレーシア・インドネシアなど東南アジアのプラテーションで生産されています。世界的な需要が高まる中で、東南アジアを中心にもともと天然林だったところが切り拓かれて、オイルパーム(アフリカ原産)やアカシアという木(製紙用)などのプランテーションに転換していっているのです。ここ20年ほどの間に多くの熱帯林がプランテーションに変わり、泥炭湿地林もその例外ではありません。
プランテーション化することで何が起こるか?
■ただ、アブラヤシのニーズが高まれば、そこに開発やビジネスが生まれるのは現代の経済社会では仕方ないことかと思いますが、プランテーションになると一体どんな問題が生じるのでしょうか。
伊藤:以下の3枚の写真は、典型的な土地利用の変化を示しています。
もともとの森林がこちらです。
伊藤:これを伐採して、水を抜くとこうなります。
伊藤:そしてアブラヤシプランテーションができます。
■この3枚組の写真はものすごくインパクトがありますね。まるで別世界。この変化は衝撃的です。
伊藤:もともと森林という生態系だったものが人間の活動でこれほど大々的に変化していきます。これに伴い、ここにいた生き物だけでなく、土壌に含まれていた炭素がCO2として大量に放出されたり、地下水の水質が大きく変化したりすることが考えられます。
また、水を抜く作業が伴うので、焼き畑などによる火災も頻発しています。これにより、さらにCO2が大気に放出され、肺の病気など健康被害も頻発しています。下は伐採の後の火入れの写真です。ときどき消火できずに延焼することもあるようです。
伊藤:現地の人にとって、アブラヤシからの収入は今や収入のためには欠かせなくなっており、自然環境を保全することと生活を維持することは必ずしも両立することができません。社会科学と自然科学をどちらも考えられる環境人間学部は、このような複雑な現代の問題を考えるのに適していると私は考えています。
■人々の暮らしと環境の保全。どこの国でも、また、世界レベルでも生じているジレンマで、まさにSDGsのテーマですね。この問題に伊藤先生はどのような研究をされていますか。
伊藤:私たちは、環境の変化が温室効果ガスや水質に及ぼす影響を調査・分析をする研究を進めています。熱帯泥炭林がプランテーションに転換されることで、気候変動などが環境に及ぼす影響や、それに対する人間活動の影響を評価・予測しようとしています。また、泥炭火災による大気汚染の専門家とも共同研究を進めています。SDGsの目標でいうと、環境面では「13:気候変動に具体的な対策を」、「15:陸の豊かさも守ろう」など、社会面では「12:つくる責任 つかう責任」や「3:すべての人に健康と福祉を」などが関連します。
■なるほど、ところで、いまコロナ禍ですが、その影響はありますか(2021年9月現在)。
伊藤:新型コロナウィルスの感染拡大で、インドネシアやマレーシアでもロックダウンの措置が取られたりしています。おそらく数年間は現地観測に行けない状況でどのようなことができるかを考えることも新たな課題となっています。
■コロナはここにも影を落としているのですね。早くコロナが明けることを祈るばかりです。今回は伊藤雅之先生に、私たちの暮らしを支えるパーム油というものが、実は東南アジアの森林を切り拓いて作られていること、そして、そのことによって現地の生態系が破壊される一方で、現地の人々の暮らしを良い面にも、悪い面にも影響を与えていること、そして、それが地球温暖化にもつながっていること、などについて知ることができました。この複雑な問題をどう解決していくか、簡単ではありませんが、その際に、自然科学だけでなく社会科学の視点をもって向き合っていくことが必要であることも分かりました。先生、本日はありがとうございました。