2020.02.18 更新

風土が人々の心を癒す(教員:井上 靖子)

人間を育む

私は人間形成系で臨床心理学を担当しています。これまで、臨床心理士(公認心理師)として、児童相談所、病院、学校で個人や集団の心理療法や心理テストによる心理査定を行って参りました。私が心理の仕事を始めたきっかけは、私自身が、子どもの頃から、努力ではどうしようもない運命があることに悩み、同じように悩む人々の力になりたいと思ったことがきっかけです。大学院では、アフリカの呪術師の修行をした心理臨床家から心理療法の理論や実践を学びました。そのため、人間人と人とが関わることで生じる癒しや人の心の奥深くにあるたましいの働きに関心を持っています。

■■

心の悩みや病は、その人の現在の表層の心の在り方と本来の深層の心の在り方との不具合、解離、分裂にあります。こうした心の悩みや病を抱えた人が癒されるには、心理療法において、その人が言葉を用いた対話や描画、箱庭、夢見などのイメージを通して、心を表現することが必要です。そして心理療法の過程のなかで、言葉やイメージの意味が明らかになることが、その人の心の不具合、解離、分裂した表層と深層をつなぎ、身体性や関係性の回復を助けます。

したがって、言葉やイメージの意味を探ることは、心理療法においての大切な作業になります。なぜなら、言葉やイメージは、個人の心の問題だけではなく、心の深層にあるその民族や人類共通の普遍的無意識を表現しているからです(Jung,C.G.1954/1982)。また、その人の心の在り方が根本的に変容しなければならないときに、昔話や神話などの物語のイメージや古くから伝わる祭祀・通過儀礼のイメージが心の表現過程に象徴的に演出されるからです(Jung,C.G.,1935/1976)。その人の心を深く理解するには、その人がくらしている地域の風土、人々の関わり、昔話や神話、祭祀・通過儀礼を知ることが役立ちます。そのため、精神医学や臨床心理学の知見だけではなく、様々な地域(兵庫県、沖縄県、南インド)に出かけて風土や他界の観点から、心を探究しています。ここではその研究の一部を紹介します。

南インド タミル・ナードゥ州 ティルチラーパッリ(2014年)

■■■

現在、姫路市家島において、家島で暮らす人々の身体・精神に関する保健の課題の現状調査、家島の宮浦神社で行われた秋祭りへの参与観察、家島神社・宮浦神社の宮司への面談調査、民間療法家の生活史、相談活動や他界観に対するインタビュー調査や民間療法の現場に対する参与観察の実施、家島小学校の子どもらと一緒にミソドラマを実施し、昔話や神話を体験演習する予定にしております。このように、人々の心の悩みや病に対する理解や癒しについて、風土や他界の観点から検討しています。ここでいう風土とは、「人間の環境としての自然を地水火風として把捉した古代の自然観」(和辻,1979)であり、臨床心理学的観点では、人間の心を客体化された対象として捉えるのではなく、人間の心を自然、土地、地域の人々などの「自己を含む関係概念」(青木編,2006)として捉えたときのその地域の特性と考えています。そして、個人の心はそこで暮らす風土や地域の人々と密接に関係しており、心の悩みや病を癒す力は、我々の背後で支える目にみえない心の世界(他界)にあると考えています。

 家島 どんがめっさん(2020年)

 児童養護施設アメニティホーム広畑学園(2019年)

 家島 宮浦神社秋祭り(2019年11月3日)

 家島宮浦神社秋祭り(2019年11月3日神輿を担ぐ男子学生)

■■■■

現代は、グローバリゼーション化、IT技術の進歩によって、我々は容易に異なる地域、異なる文化圏を移動し、瞬時の情報交換を行い、ヴァーチャルリアリティ(仮想現実)を体験できるようになっています。我々は相対的に自らの身体、風土、地域の人々と関わり、それらをじっくり味わい、生き生きした身体感覚を経験する機会や、土地のもつ目に見えない力や地域の人々に見守られる体験が減少しています。こうした地域における風土、人々との関わりを味わう機会の減少、代々その地域に伝えられた祭祀・通過儀礼の軽視や喪失は、世界規模で生じています。こうした生活環境の急激な変化によって、我々は、ストレスによる心身症、うつ病、異文化摩擦、思いやりの欠如による虐待や暴力、若年層の自殺、インターネットを介した様々な犯罪、離人感、解離性同一性障害、人間関係の希薄化に伴う孤立死などの問題に悩まされているといえるでしょう。そして、こうした土地や地域特有のくらしのなかに生きている「目に見えない世界(他界)」、「風土」、「いのちの根源(母なるもの)」の3つのキーコンセプトの意義を再認識することが、これからの我々の心身の安定に必要なことではないかと考えています。

これからの時代を生きる我々は、自らの身体との関係、住んでいる地域の自然、風土、人々との関係を取り戻すことによって、本来もっている自己治癒力や成長力と出会えるのではないかと考えています。

 家島 高台から(2019年11月19日)

参考文献

  • 青木真理編(2006)「風土臨床」コスモライブラリー
  • Jung,C.G. Analytical Psychology,Its Theory and Practice.London:The Tavistok Lectures.Walter Verlag AG.Schweiz,Routledge&Kegan Paul.1935a.小川捷之(訳)(1976).分析心理学.みすず書房.
  • Jung,C.G. Von den Wurzeln des Bewußtseins.Zürich:Rascher Verlag.1954.林道義(訳)(1982).元型論.紀伊国屋書店.
  • 和辻哲郎(1979).風土.岩波書店.

関連リンク

\ この記事をシェア /

Twitter Facebook

キーワード

書き手"