2022.01.20 更新

「お姉ちゃんが持って行っちゃった」~人にとってステインドグラスとは?(大学院生:立花江津子)

世界とつながる

はじめまして。環境人間学部社研究科 社会人院生の立花江津子です。ステインドグラス作家としての仕事と研究を両立させております。武蔵野美術短期大学で舞台美術を学んだ後、ベルギー、ゲント市のセント・ルーカス インスティチュート(現ルカ美術大学)に留学、モニュメンタルクラスでステインドグラス作家として必須の色彩学、構成、下絵の制作を。またデッサン、アナトミー、歴史、古典絵画などを。そしてゲント市で伝統的な技術を継承する工房で技法、職人の技術を学びました。休暇中にはヨーロッパ各地のステインドグラスを見て歩き、フランスのブールジュでは大聖堂で修復をしていた名匠と知り合い、長年にわたって交流を続けてきました。

帰国後は、姫路市内に工房を持ち、以来半世紀近く制作活動をしています。神戸松蔭女子学院大学、姫路パルナソスホール、姫路市立美術館、トワイライトエクスプレス、金城学院大学、赤穂普門寺など日本やヨーロッパ各地に200箇所以上の作品を制作しました。

 神戸松陰女子学院大学

 トワイライトエクスプレス

 

長い制作活動の経験のなかで、この仕事の意味を考えさせられる事例が多々ありました。作品を制作する事は、人との繋がりをもたらします。人々とのエピソードから一例をご紹介します

※ ステンドグラスは英語ではstained glass と表記されます。日本ではステンドグラスと表記されていますが、英語の発音通りの表記ステンドグラスすることで、光と影を表現するという技法上の重要な意味を表す事が出来ますので私はステンドグラスと表記しています。

ステインドグラスと姉妹

1981年4月、依頼を受けて制作したステインドグラスを設置するために、K氏ご夫妻のお宅に出向きました。設置場所は、まだ幼い姉妹の子供部屋で、多分お姉ちゃんの方の?小学校入学祝いの意味もあって、両親からプレゼントされたものであったのかと思います。二人は大はしゃぎで、部屋中を駆け回っていました。

その作品のタイトルは「輪」で、二人の人物が輪の中で踊っていて、ちょうどこの時の姉妹を描いた様な作品でした。以来長い年月、このご家族とはお目にかかる事もなく、姉妹の部屋のステインドグラスの事も、いつしか記憶から遠のいていました。

 

「輪」1981年制作 K氏邸

 

40歳になったあの女の子

それから35年も経った頃でしょうか、アトリエに1本の電話がかかって来ました。

「もしもし、私はKの娘です。覚えていらっしゃいますか?」

私は、電話の相手が誰か、咄嗟には思い出せませんでした。返事に困っていると、電話の声は続きました。

「無理もありません。お目にかかったのは、私がまだ5歳の時でしたから…。今はもう40歳になりました」

ようやく、あの時の幼かった女の子たちの事を思い出しました。

「私は妹の方です。あの時、制作して頂いたステインドグラスは、私たちの部屋を一年中、光で満たしてくれました。ステインドグラスのおかげで、どれだけ心豊かに過ごせたかわかりません。でも、姉が結婚する時に『私のステインドグラスだから』と言って、婚家に持って行ってしまったのです。私は悔しくて、羨ましくてたまりませんでした。その時、自分が結婚して家を建てる事が出来たら、絶対にステインドグラスを入れようと決心しました」

彼女はそこまで話すと、言葉を切りました。突然の電話に驚きましたが、あの作品の事をそんなにも大切に思っていてくれたとは…。込み上げるものがありました。彼女の言葉は続き、

「あれから結婚もして、今ようやく家を建てることが出来ました。どうしてもこの新しい家にステインドグラスが入れたくて、夫にお願いしたら『いいよ』と言ってくれました。子どもの頃、我が家にあったステインドグラスと、ちょうど同じ大きさの窓も開けてあります。もしお手持ちの中で、この窓にあうステインドグラスがあれば、拝見させて頂けませんか。両親も久しぶりにお目にかかりたいと言っております。近いうちに一緒にアトリエにお伺いしたいのですが、如何でしょうか」。

唐突な申し出でしたが、K氏ご夫妻にも電話をくれた彼女にも会ってみたくなりました。あの小さかった女の子が、もう40歳だなんて…。いや、人の事を言ってはいられません。私だってあの頃は働き盛りで若く元気であったのに、今はもうとっくに仕事を辞めていても不思議は無い、結構な歳になっているのですから。

 

私のステインドグラス!

数日してご両親と共にあの5歳の女の子、いえ、今は40歳の彼女がアトリエにやって来たました。ご両親とはご無沙汰を詫び、すぐに打ち解けて話が出来ましたが、何しろ5歳の時に会ったきりの彼女とは、もしどこかで会っていても、わからなかったでしょう。夫と共にビジネスをしているという彼女は、落ち着いた佇まいのキャリアウーマンらしい女性になっていました。子ども部屋を無邪気に走り回っていた女の子を、その時の彼女からは想像も出来ませんでした。

彼女の準備した窓の大きさに当てはまるステインドグラスは、私がスタンダードとしていて好きなサイズであったので、何点か見せる事が出来ました。新しい家を建てた場所が葉山と聞いて、私には海のイメージが浮かび、そのような場所に合う作品と思いましたが、彼女が選んだのは「街」という作品でした。奇しくも、その作品は彼女の実家にあった作品と同じ年に制作した作品でした。

「街」1981年制作(2016年設置・T氏邸)

 

それからは、急ピッチで施工の準備にかかることになり、彼女の家を設計した建築家と連絡を取り合い、ステインドグラスの枠作りと施工を木工所に依頼するなど、忙しくなりました。やがて施工日が来て、彼女の住まい、神奈川県の葉山に出向きました。

ところが、窓は階段上壁面の高い位置にあって足場を立てる場所が無く、予想外の問題に取り組むことになりました。しかし彼女の「どうしても今日中にステインドグラスを入れたい」という熱意に突き動かされてあれこれ考えた挙句、ようやく解決策を見出しました。しかしながら結果的に、職人さん達はサーカスまがいの足場の上で仕事をする事になり、私達は只ハラハラとしながらそれを見守る事しかできませんでした。そして陽も傾く頃にようやくステインドグラスは窓に入りました。

夜になって、室内に点灯されると、街の角地にあるこの家のステインドグラスは、暗闇に浮かび上がってランドマークのようになり。それまで何事かと工事を遠巻きに見ていたご近所の人々からも、歓声が上がりました。5歳の幼女が抱いていたステインドグラスへの郷愁と、「お姉ちゃんが持って行っちゃった」ステインドグラスへの思いがようやく結実して、この瞬間に彼女自身のものとしてのステインドグラスが、実現したのです。

人生に寄り添うステインドグラス

ステインドグラスが人の人生にこれほど影響を与え、その記憶は心の中に残り続けるのだと、彼女を通じて知りました。葉山のステインドグラスの話は、この日のエピソードと共に、又彼女の子どもや孫に語り継がれていくのでしょう。この事例からも、ステインドグラスは、技法や職人の仕事と共に、これに接した人々の脳裏に、その時の印象や感動、思いがインプットされ、伝えられてきたのだと推察出来ます。

光を媒体とするステインドグラスは、身体のケアーと共に心の癒しが重要視される現代社会において、教会など宗教施設だけでなく、終末医療や、一般の病院関係、老人ホーム、児童施設、劇場、美術館、学校、駅、空港、住宅などに徐々に取り入れられて来ています。今後、様々な分野、場所で必要とされる芸術として周知され、ステインドグラスの将来性と可能性に道が開かれて、より身近な親しみやすい芸術になる事を願っています。

 

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