身近な自然と世界の植物―姫路城界隈(教員:石倉和佳)
環境人間学部国際文化系
教授 石倉和佳
自然との関係を理解すること
皆さん、環境人間学部国際文科系の石倉和佳(いしくらわか)です。イギリス文学が専門ですが、広くイギリスの文化についても研究しています。ここ数年はイギリスの植物学と出版文化の発展について調査と研究をしていました。フィールドワークを行う学部授業では、神戸方面や姫路の近隣に出かけますが、その中でも毎年姫路城にある好古園を訪問するのが定番になっています。学生の皆さんの様子を見ていると、好古園の景色の美しさには感動しても、一つ一つの植物にはあまり関心を向けないようです。花や木の名前や由来を知らないというのもあるかもしれません。けれども少し立ち止まって身近な自然を見つめることで、物事を多角的にとらえる力を養うことができます。気候も文化も異なる国では、日本の私たちとは同じ花でも違って見えることもあります。そして植物と人間との関係が一様でないことがわかります。他者を理解することは―環境への感受性を高めることも含まれます―身近な小さなものへの関心からはじまる、と私は思っています。
Chinese Glycine (Wisteria sinensis), Curtis’s Botanical Magazine, v.47, 1819, t.2083
桜/サクラの木々の東西比較
それでは、身近な自然から世界への視野を広げる、というテーマで姫路城界隈に生育する植物を取り上げながらお話したいと思います。まず最初は桜です。三月の終わりになると、姫路城内には桜が咲き始め、たくさんの人でにぎわいます。皆さんが頭に思い浮かべるのは、天守閣が堂々とそびえ立つすそ野を、縁取るように桜が咲き誇っている図柄ではないでしょうか。実は姫路城の北方向(後ろ側)、野里小学校沿いに東西に延びた中堀沿いの道でも桜を楽しむことができます。中堀の土手に群生した木々が茂っているせいで、桜は太陽を求めて上へ上へと伸びています。そのためこの界隈の桜は姫路城大手門付近の桜より背が高く育っています。桜並木は姫路城中堀北西の方向にある、白川神社が見えるあたりまで続きます。
中堀北の桜並木
姫路城に植えられた桜の多くはソメイヨシノですが、これは日本で一番ポピュラーな桜の種類です。江戸末期に登場したハイブリッド種で、美しい花と早く成長することが好まれて、公園や学校を作る際によく植えられました。この桜を植えると、10年もしないうちに桜の木が繁る学校の風景が出来上がります。成長が早い代わりに、手入れをしないと60年くらいで寿命がつきる場合もあるそうです。城内の桜は1910年代以降に植えられたということですが、長年多くの花見客に根元を踏まれて樹勢が衰えているとか。近代化を急いだ日本にとって、学校、公園、街路など公共の空間を春の景色で手早く彩ってくれるソメイヨシノは格好の相棒だったのかもしれません。昨今は温暖化のせいで開花が早まっていますが、四月の入学式と桜の花は、日本の学校文化の一つの象徴ともなってきました。学校に合格することを「サクラサク」と表現したのは日本くらいではないでしょうか。
さて桜といえば日本文化と連想が働きますが、サクラはイギリスでも植えられています。但し多くの場合、並木ではなく一本だけで植えられ、低温が長く続くイギリスの春に一ヶ月以上咲き続けることもあります。灰色や緑の木々の間に、一本の木が白く霞むように浮かんでいるのがイギリスのサクラのイメージです。ロンドン郊外にある広大なキュー植物園を訪れた時、各種のサクラの品種が一本ずつ植えられている一角に遭遇し、そこに生えている品種の多さに驚きました。一本の木の姿を全体として楽しむように木々が植えられているこの植物園では、サクラも一本ずつ個性的に枝を張り、花を揺らしていました。私は大きく育つ桜の木が好きです。日本の大桜として各地で大切にされている樹齢何百年のエドヒガンザクラやヤマザクラはみな、一本桜ではないかと思います。そうした桜の木には生命の力を感じます。
キュー植物園のサクラ 2011.3筆者撮影
シュロのおはなしいろいろ
桜の話はこのくらいにして、次はお城の堀の土手に生える植物の話をしたいと思います。シュロ(棕櫚)です。姫路城の北西の内堀と百閒廊下の間の一帯には、江戸の後期から手が入っていません。今ではうっそうと木が茂り、姫山原生林と呼ばれています。好古園の東横の小道をずっと北へ歩いたところに、右手に見える、木々が高くまで茂ったところがその原生林の端に当たります。夜には白い羽根を丸めた鷺がこの原生林に点々ととまって眠っています。そこは現在シュロの木が群生して繁茂しているのですが、実はシュロはもともと生えていた植物ではなく侵入植物なのです。今では姫路城の石垣や建物に根を張って害を与えることが懸念されているため、数年前から伐採などが計画実行されているようですが、急斜面のためなかなかはかどらないそうです。先ほど野里小学校から西に入る道を紹介しましたが、その道から見える中堀の向こう側にもシュロが群生しています。
シュロは日本の南部には自生していますが、本州にはもともと生育しておらず、姫路城内のように自然に生えてきた場合は侵入生物とみなされます。その土地の自生植物の植生を乱すものともなるからです。皆さんは植物は動かないと考えているかもしれませんが、何年もの間に植物は勢力を拡大して生育地帯を広げたり、衰退して消えてしまったりしているのです。シュロはかつて日本人の生活に密接な木でした。シュロ皮の繊維はタワシや箒を作る材料であったため、昔は原材料として栽培され、和歌山県などではシュロ製品の一大産業が発達したそうです。また、古いお家の庭などには今もシュロの木を見かけることがありますが、かつては庭の植物としてもよく植えられていました。しかし現在ではシュロは次第に人々の生活圏から消えて行きつつあるようです。シュロの実は鳥たちに食べられ、あちこちに運ばれ、温暖化も手伝って野生化していると考えてよいのかもしれません。
姫路城北側の中堀の土手に群生するシュロ2019.3 筆者撮影
シュロはヨーロッパでは自生しません。つまりヨーロッパの人にとってはこの植物を見ることは「発見」であったりします。シュロの学名(Trachycarpus fortunei)はプラント・ハンターのロバート・フォーチュン(Robert Fortune) にちなんだものです。彼は1840年代から1860年代にかけて中国を何度も訪れ、一度は日本にも来ています。中国で主にプラントハンティングをしていたのですが、それまで門外不出だった紅茶の製法を聞き出し、紅茶の木を中国から運び出した話はよく知られています。フォーチュンが初めてシュロを見たのは中国の舟山市の島で植物採集をしていたときでした。ヤシの仲間の中で、イギリスで育つくらいの十分な耐寒性があるのがシュロでした。後に彼は苗木を何本かキュー植物園に向けて送ったのですが、その時ヴィクトリア女王の夫、アルバート公のワイト島の庭園にも送ってほしいと希望したそうです。苗木は香港からカルカッタを経てイギリスに到着しました。初めてのシュロのブリテン島への上陸です。アルバート公に送られた苗木は、ヴィクトリア女王が32歳の誕生日に、自らの手で植えたと伝わっています。フォーチュンが送ったシュロのひとつはキュー植物園で今も元気だそうです。
フジを発見する
さて最後はフジの話をしたいと思います。ゴールデンウィークの頃に、中堀を白川神社へ歩いていくと、大きな木を這い上るように咲く野生のフジを見ることができます。林の中や山道を歩くと、山サクラ、山ツツジ、葛の花など時折目を引く花が咲いていたりしますが、日本の野生のフジもその一つです。日本ではフジは藤棚にするのが一般的ですが、イギリスでは壁面を飾るように縦に伸びるよう育てられます。この花は1816年にウェルバンク船長によって中国からイギリスに移入された記録があり、1819年の『カーティス・ボタニカル・マガジン』に植物画とともに紹介されました。ここではフジは大豆の仲間と紹介されており、植物画では群生せず一つの花として細密に描かれています。ウェルバンク船長の家の庭師が、温室に入れてみたり少し風に当ててみたりしながら、蜘蛛に食われたり葉を全部落としたりしてしまうフジの育成に苦労していると報告されています。とはいえ今ではイギリスのあちこちの庭園でフジは生育しており、私も昨年マンチェスターでパブの玄関先を紫の花で美しく飾っているフジを目撃しました。
姫路城中堀の野生のフジ2019.5筆者撮影
小さなものの個性に気づく
旺盛に繁茂してどうやって駆逐しようかと人の頭を悩ませるシュロもあれば、大切にされて何十年も庭園で育ったシュロもあります。気候とその植物を取り巻く文化や人々の思いが交錯する中、時間とともに身近な植物の運命も決まってくるように思います。日本は植生が豊かで、雑草が生えているとしか見えない草原でも、パッと目に入る植物は20種以上はあるそうです。小さな違いと個性に気づき心にとめること、すると道端の草花も心に残るものとなります。そうした心遣いは普段のお友達付き合いでも忘れてはいけないことでしょう。私たちの自然の利用の仕方にヒントと反省を与えてくれるのも、植物との対話ではないかと思います。
それでは、皆さんも身近な自然に目を向けて、様々な関心事へ興味を広げるエクササイズを是非実践してみてください。