2021.12.14 更新

小説を通してみる世界:人種やジェンダーを理解すること(教員:柳楽 有里)

世界とつながる

環境人間学部国際文化系
准教授 柳楽有里

皆さん、こんにちは。環境人間学部国際文化系の柳楽有里(なぎらゆり)です。私はアメリカ文学を研究しています。とりわけ、アフリカ系アメリカ人作家(黒人作家)を中心に、彼らが描く小説を通してみる世界観に注目しています。文学研究といえば主流作家たちの作品を扱う人が比較的多いので、私はそれよりもむしろ主流に抗うマイノリティー作家たちを常に研究対象としてきた、マイナーな研究者といってもいいかもしれません。最近では、ゲイ作家も研究対象に含めています。

異文化理解

小説を分析して様々な世界観に触れることは、異文化理解を深める最も実りある方法の内の一つです。グローバル化が進む現代において、英語や中国語といった第二言語の習得のみならず異文化を理解するための意識が大切であることは言うまでもありません。海外に留学したり、また国内においても異なる文化に触れたりすることは往々にあるでしょうし、そういった体験を通じて異文化理解が深まるのは確かです。しかし、小説を通しても異文化理解に対する鋭い視点を身につけることができると考えています。

私がはじめて黒人作家の小説を読んだ時のことを少しお話ししたいと思います。恩師に勧められ、何気なく手に取った小説がありました。

Their Eyes Were Watching God

7人のアメリカ黒人女性が登場する作品で、正直にいうと、日本で生まれ育った私にはどこか遠い世界で起こっていることのようにしか感じることができませんでした。そもそも、黒人女性と聞くと、「悲劇的な黒人女性」しか想起できませんでした。アメリカ社会において、人種においても性においても被抑圧者である彼女たちを一方的に憐れで可哀想な人たち、とどこか決めつけていたように思います。小説を読み進めていく上で、7人のうちの2人が同性愛者(レズビアン)であることが明かされ、赤裸々に描かれるこの2人の切ない関係に心を動かされました。

ところが、さらに読みすすめると、他の5人の黒人女性たちがこの性的マイノリティーであるカップルを蔑んでいることもわかってきます。黒人女性たちはアメリカ社会において二重の意味で被差別者でありながら、そういった彼女たちですら、さらに小さな黒人コミュニティーにおいて差別者となりうる、と言うことです。さらなる弱者を発見すると、彼らを擁護する訳でもなく、同じように差別を繰り返すのです。

こうして私は、自分が「憐れむべき被差別者」と思い込んでいた黒人女性たちが、実は何重にも差別が連鎖する構造の中に生きていると気づいた瞬間でした。どこか遠い世界に思われたアメリカ黒人女性の物語が、身近に感じた瞬間ともいえます。

語ることの重要性

普段、私たちは当たり前のように何かを語り、また書き残します。それは言葉を発することができ、またある程度の識字力があれば難なくできそうな行為に思えます。しかし、小説を通して様々な世界観を学ぶにつれ、それがいかに困難であるのか、ということにも改めて実感できるようになったといえます。ここからは「語る」声の重要性についてお話しします。

奴隷制が廃止される以前、アメリカの黒人奴隷たちは教育を受ける権利を奪われていました。その後、奴隷制が廃止されましたが、白人たちと同等の教育を受ける機会に恵まれたとはいえません。常に抑圧されてきたことは確かです。しかしそういった環境においても、彼らは着実に作家活動を続けます。文才を発揮し作家として活躍する黒人が登場してきます。1920年代のハーレム・ルネッサンスと呼ばれる時期には、黒人作家たちが活躍しました。

しかし彼らには大きな課題が重くのしかかっていました。それは、白人と同等の知性を備えていることをある意味証明するために、白人の扱う文字を用いて作品を残すことであり、またそれと同時に黒人独自の文化、声の文化を表現しなければならないという課題です。

このような課題に見事に取り組んだ作家として、ゾラ・ニール・ハーストンという黒人女性作家がいます。彼女は、小説『彼らの目は神を見ていた』を1937年に発表します。

『彼らの目は神を見ていた』

この小説が評価されたのは、ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアによると、まさに黒人作家たちが抱えていた課題を彼女の独自の方法、自由間接話法で乗り越えようとした点にあります。自由間接話法とは、通常括弧で括る発話者の声を、括弧を使わずに、いわゆるナレーションの地の文に埋め込むように描き出す方法です。この語りによって、内面の考えが声になってふとこぼれてしまったかのような印象を与えます。

例えば、本小説で自由間接話法と指摘されている部分を日本語で書いてみるとこのようになります。

① 長年白人のために働いて300ドルほど貯めてきたのさ、そう、このポケットに。

① は登場人物の内面が語りの部分に入り込んでいます。自由間接話法を用いない例の②と比較するとわかりやすいでしょう。②では登場人物の思考は括弧で括られ、「彼女はこう考えた」という表現が加わっています。

② 「長年白人のために働いて300ドルほど貯めてきたのさ、そう、このポケットに」と彼女は考えました。

このように、ハーストンは主人公である黒人女性の黒人訛りを、標準語で語られる地の文にそっと埋め込んだのです。標準英語で物語を語ることにより、白人と同等の知性を証明できますし、同時に自由間接話法を用いて黒人たちの文化でもある自分達の訛り(声)も同時に表現できた、と言うことになります。彼女のこの小説における試みは21世紀の今も高く評価されています。

ジェンダーという視点からのこの小説を捉えると、黒人社会における男女の性的役割を垣間見ることができます。女性主人公と彼女の2番目の夫とのやりとりがその例となります。市長である彼女の夫は、自分の語る能力を公に誇示します。一方、妻である女性主人公には、公の場で話すことなどできないと公然と明言します。声の重要性を意識している作家ハーストンは、このような夫婦間の力関係を、声の力で覆してみせます。抑圧されている妻は、公の場で夫の弱点を罵倒するのです。完全に面目を失った夫はその後亡くなります。ここでは、声が単なる音声としての声ではなく、家庭において、また社会において作用する大きな力となり得ることを象徴的に描いているのです。

おわりに

小説を通して、自分の住まう時空間とは全く異なる世界に思いをはせてみることは、純粋に楽しみでもありますし、また、その虚構の世界にある法則や構造を見出し、それらを様々な角度から考えてみることは思考のエクササイズになることは間違いありません。気軽に書物を手に取ってみることからはじめてみませんか。新しい発見が必ずあるはずです。

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